日本ではじめて焼き上げたバウムクーヘン

「ユーハイム」の原点は1909年。

ドイツのライン河畔にあるカウブ・アム・ライン出身の菓子職人カール・ユーハイムが、当時ドイツの租借地(そしゃくち)だった中国の青島(チンタオ)で、ジータス&プランベック氏の店を弱冠23歳という若さで譲り受けて独立したのが始まりです。

以来、夫妻はさまざまな苦労や困難を乗り越えてユーハイムの礎を築きました。

日本で初のバウムクーヘン

カールは1886年、南ドイツのカウプ・アム・ライン生まれ。厳しい修行に耐え、一人前の菓子職人になった1908年に当時ドイツの租借地・中国の青島(チンタオ)でジータス&プランベック氏の経営する菓子・喫茶の店に就職し、1909年には弱冠23歳の時にその店を譲り受け、独立しました。カールの作るバウムクーヘンは「本場ドイツの味」と評判を呼び、あっという間の5年間が過ぎて、久しぶりにドイツに帰ったカールはひとりの女性を紹介されたのです。その女性こそエリーゼでした。1892年ザンクト・アンドレーアスベルク・ハールツ生まれ。簿記や菓子店経営に必要な学科を習得している聡明な女性でした。

ふたりは1914年7月青島で結婚式をあげました。しかし、折悪しく第一次世界大戦が勃発し、青島は日本軍に占領されてしまい、カールは日本に強制連行されてしまったのです。広島の収容所に入ったカールでしたが、1919年、広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)でたまたま開かれた似島収容所浮虜製作品展覧会で自慢のバウムクーヘンを出品、これこそ日本で初めて焼かれたバウムクーヘンでした。1920年捕虜生活から解放されたカールは、家族を青島から呼び寄せ、横浜に店を開き、その後、神戸にユーハイム本店を開設いたしました。今から約90年前のことです。

「E・ユーハイム」では、バウムクーヘンをはじめ、サンドケーキ、プラムケーキ、アップルパイなどが飛ぶように売れ、順調な滑り出しをみせました。カールは日本人の職人を「ベカさん」と呼び、ドイツ式の材料を正確に計る科学的なやり方を教えていきました。しかしマイスターの誇りであるバウムクーヘンだけは他の職人にまかせることはありませんでした。ふたりの間に女の子も生まれ、すべてがうまくいっていた矢先の1923年、なんと関東大震災が起こり、店は一瞬にして灰と化してしまったのです。命からがら船で逃げ出した夫妻がたどり着いたのは神戸でした。このときふたりの全財産はカールのポケットに入っていた5円札が1枚だけ…。

純正材料が美味しさの秘密

しかし、夫妻はあきらめません。多額の借金をして神戸・三宮に新しい店を開店、その名も「Juchheim’s」。英国人ミッチェル氏の設計による神戸で初めての洋館でした。

港町神戸には当時から多くの外国人が住んでおり、ユーハイムは本場のドイツ菓子を売る店として注目され、初日の売上はなんと135円 40銭。2日目には材料が底をつくまで売りつくしてしまいました。失意のどん底から、また夫妻は新たな夢に向かって歩みだしたのです。

順調に業績を伸ばし、近代的で清潔な新工場を建設するにいたりました。その工場が完成して間もない1930年10月には、昭和天皇即位を記念して神戸で行われた大観艦式の献上菓子に選ばれるなど、順風満帆の日々が続きました。その後新しい店などに押されて売上を落とすこともありましたが、そんな時エリーゼはカールや職人に向かって力強く言いました。「私たちは最高の材料と最高の技術でお菓子を作っています。心配ありません。」と。

「まっすぐなおいしさ」で100周年

やがて第二次世界大戦が勃発。職人たちも次々戦場へ赴きました。神戸も空襲を受け、夫妻も六甲へ疎開しましたが、カールは病に倒れ、日々衰えていきました。1945年夏、広島・長崎に原爆が投下され、終戦を迎える前夜、ついにカールは息を引き取りました。その上、エリーゼも終戦後ドイツに強制送還されてしまったのです。
しかしユーハイムの灯は消えませんでした。戦争から戻った職人たちが1950年神戸・生田神社前に店を開き「ユーハイム」を再開したのでした。そして 1953年には、6年ぶりにエリーゼを日本に迎えることができたのです。再びユーハイムは、カールとエリーゼの理念に導かれながら「美味しいお菓子」を作ることで、新たな時代に向かって歩み始めたのです。

その後日本経済の成長に伴い、より多くのお客様にお菓子をお届けできるようになりました。しかしエリーゼは、商売繁盛の秘訣は「正直と誠実」と言い続け、純正材料のみ使い、不必要な添加物は使わないという基本理念は変わることはありませんでした。やがて1971年、エリーゼ・ユーハイムは80年の生涯を閉じましたが、1976年にはドイツに出店。エリーゼの悲願を果たすことができたのです。そして2009年、100周年を迎えることができました。夫妻が築いた礎は、今なおかけがえのない財産です。